飛鳥山 善興寺

[住所] 〒939-1275 富山県高岡市中田4500−1
[TEL] 0766-36−0008 [FAX] 0766-36―1964
[住職名] 飛鳥寛靜
[宗派] 浄土真宗本願寺派

<沿革・歴史>

善興寺の略伝
善興寺は、もともと後亟(ごぜ:小矢部市)にありました。現在もその旧地には石碑が建っています。善興寺に伝わる古文書には、開基について「飛鳥法興寺七世慧乗禅師によって建立」された、と記されています。

飛鳥から後亟へ
飛鳥時代の欽明天皇13年(552)に仏教は百済より伝えられました。仏像を天皇より賜わって建立された蘇我氏の菩提寺、日本最古の仏教寺院、法興寺があります。法興寺の第7世慧乗法師が、諸国を巡錫するなかで越中国を訪れ、勝地を選んで一宇を建立したのが善興寺の始まりとされます。霊亀2年(716)のことでした。のちに天台宗の勅願所として「飛鳥山善興寺」の号を賜りました。文明5年(1473)、善興寺第41世俊乗法師は、越前吉崎を拠点に北陸地方を巡教していた本願寺第8世の蓮如上人の教化に遇い、浄土真宗に帰依します。そして大永3年(1523)本願寺第9世の実如上人から阿弥陀如来のご絵像を下附され、天台宗から浄土真宗に宗旨を改めました。

後亟から中田へ
一向一揆戦乱期の文明13年(1481)春、医王山惣海寺と組んだ福光城主石黒光義が、井波瑞泉寺を攻めた田屋川原合戦の時に善興寺も焼亡し、本尊阿弥陀如来像のみを護って、本願寺勢力に味方する増山城主神保氏のもとへ走ります。神保氏によって中田村三倉内に寺領を与えられ、伽藍を再建しました。中田は砺波平野を横切る時の重要な宿場町で、早くから栄えていました。中田古地図に善興寺は町並みのほぼ中央南側に描かれています。
享保2年(1717)本願寺第15代住如上人より木像本尊の御判をいただきました。明治14年(1881)中田町の大火により焼失。
再建中の明治18年(1885)に再び町の大火事により焼失し、明治30年(1897)に現在地へ移転し、今日に至ります。

<年間行事>

1月1日 修正会
1月16日 親鸞聖人御正忌報恩講
3月 春彼岸
6月 帰真慶讃法要
7月 永代経法要
8月1日~2日 早起き法話会
8月15日 合同墓総追悼法要
9月23日 悲しみをご縁として
11月14日~16日 報恩講
12月31日 除夜会
阿弥陀如来の願いは、平等に私たちにかけられていることをみなさんとご一緒に味わうご縁を大切にしていきたいと思います。
仏事のこと、お気軽にご相談ください。

<墓地・納骨壇情報>

本堂南側に墓地があります。2013年夏に個別・合同納骨のできる永代合同墓を建立。2020年夏に墓地を整備して、樹齢100年以上のケヤキと竹林の側に樹木葬スタイルの合同墓が完成しました。爽やかな雰囲気のなかで先往かれた方を偲ぶ場所としてご利用いただければと思います。