小耆山 圓満寺

[住所] 〒935-0013 富山県氷見市南大町5-17
[TEL] 0766-72-2031 [FAX] 0766-73-6626
[住職名] 青山 隆栄
[宗派] 浄土真宗本願寺派

<沿革・歴史>

当寺院は射水地方の城主・青山大膳(あおやまだいぜん)の弟・隼人(はやと)が本願寺第8代・蓮如上人に帰依し剃髪(ていはつ)、法名を行信(ぎょうしん)と称し、文安2年(1445年)に創立した寺院です。
創立当時、行信は加賀江沼郡長谷村(えぬまぐんはせむら)(今の山中温泉付近)に居住していたが、後に氷見上田村に移り、その後、元和(げんな)元年(1615年)現在地で本堂を建立し今日に至っている。

なお、本堂は昭和13年の大火で焼失したため、昭和30年に高岡市西藤平蔵の南家を移築し、本堂として再建したものである。
当寺第9世住職・義教(ぎきょう)は、学問と徳行(とくぎょう)にすぐれていたため宝暦5年(1755年)に西本願寺の第5代能化(のうけ)(注)に任じられた。義教は能化職のかたわら自坊では大心海(だいしんかい)という学塾を開設し、門弟の教育にあたった。明暦5年(1768年)75歳で亡くなったが、生前の功績を称えられてご門主から泰通院(たいつういん)という院号を賜った。経蔵(きょうぞう)には義教や門弟が勉学したと思われる書籍をはじめ、多数の経典や仏教書が修蔵されている。義教は臨終に際して次の歌を残した。

「後の世と言うも今やになり果て悲しくもあり嬉しくもあり」

又、当寺第12世の義淳(ぎじゅん)(号は、玄天(げんてん)1845年没)・第13世の義僧(ぎそう)(号は、義天(ぎてん)1861年没)親子は氷見を代表する漢詩人で江戸の詩人・大窪詩仏とも交流があった。現在残っている詩集では「玄天和尚詩集」がある。
(注)能化…浄土真宗の教義上の問題について正否を採決する本願寺宗学最高の権威者であり、当時御門主一代に一人というのが決まりであった。それゆえ色々な問題が発生したので、能化は7代まで続いて、その後、複数で職にあたる勧学に引き継がれた。

<年間行事>

1月15、16日 親鸞聖人御正忌報恩講
4月中旬 祠堂経法要(永代経法要)
6月初旬 修蔵会法要(経蔵の虫干し法要)
8月7日 こんごう会法要(物故者追悼法要)
10月12、13日 報恩講
近年、お寺での法事が増えている。
本堂および本堂と一体になった座敷は、イス席で冷暖房が完備しているので、門信徒皆さんに利用していただければありがたい。
お参りした人がホッとできるような場を心掛けています。

<墓地・納骨堂>

大きな墓の形をした合同墓がある。全骨と分骨両方受付している。
一般の墓地に若干の空がある。